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福岡地方裁判所 昭和60年(ワ)1672号 判決 1993年5月27日

原告

新郷博之

右訴訟代理人弁護士

森竹彦

被告

医療法人社団三光会

右代表者理事

山下貴史

被告

中山愼一郎

右被告ら訴訟代理人弁護士

南谷和成

右訴訟復代理人弁護士

南谷洋至

用澤義則

主文

一  被告らは、原告に対し、連帯して金二二八五万六四八四円及びこれに対する昭和六〇年八月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、連帯して金三六七六万九九九七円及びこれに対する昭和六〇年八月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え(内金請求。仮執行宣言。)。

第二  事案の概要

本件は、原告が、自転車に乗っていて転倒し左上腕骨顆上を骨折したため、被告医療法人社団三光会(以下「被告三光会」という。)が経営する山下病院で入院治療を受けたところ、主治医である被告中山による骨折部位の骨接合手術及びその後の診療行為に過失があり、これによって原告に後遺障害を生じたとして、被告らに不法行為(被告中山に対しては民法七〇九条、被告三光会に対しては同法七一五条一項)に基づく損害賠償請求をしている事案である。

一  当事者間に争いのない事実及び証拠(甲二ないし四、五及び六の各1ないし3、七、一一、一四の1、2、一五の1ないし10、二七、証人森久、原告本人、鑑定)上明白な事実

1  被告三光会は、所在地において山下病院を経営する医療法人であり、被告中山は本件当時山下病院の勤務医であった。

2  原告は、高校生であった昭和五七年一〇月九日午後一時三〇分ころ、自転車で走行中に転倒して左腕を地面に突く事故(以下「本件骨折事故」という。)を起こし、同日、山下病院で受診し、左上腕骨粉砕骨折との診断を受け、即日同病院に入院した。

3  同月一五日、原告の主治医である被告中山は、原告の骨折部の骨接合手術(観血的手術、以下「本件手術」という。)を行った。

4  同月二七日(術後一二日目)、被告中山が、原告患部の包帯交換をしたところ、原告の手術部位に感染症が発生していたことが判明した。

5  そこで、同月二九日、原告は、訴外浜の町病院を受診した後、同年一一月一日、同病院に転入院し、専ら感染症に対する治療・手術(四回)を受けるなどし、同五八年三月二六日、同病院を退院し、同年七月一三日まで通院(実日数一二日)治療を受けた。

6  原告は、同五八年七月二五日、二九日と訴外東京慈恵会医大附属病院(以下「慈恵大病院」という。)整形外科を受診した後、同年九月一三日から同年一〇月四日まで入院した。その間の同年九月二〇日、同病院において神経移植の手術等を受けたが、その際、左尺骨神経が五センチメートルにわたり欠損して断裂していることが確認された。

さらに、原告は、翌五九年一二月一二日、同病院に再入院し、同六〇年一月一〇日、関節形成、皮膚移植等四回の手術を受けて同年三月九日いったん退院したうえ、同六一年三月一七日再々度入院して腱の移植手術を受けて同年四月二六日退院した。

7  昭和六一年一〇月一日、原告は、慈恵大病院で症状固定と診断され、原告には左肘関節の運動障害、左第四・五指の各関節の運動障害、手術瘢痕による上肢の露出面に醜状、長管骨の変形等の後遺障害が残った(なお、それらの後遺障害別等級等については後に説示する。)。

二  争点

1  被告中山の過失及び因果関係

(一) 原告の左尺骨神経の断裂について

(二) 原告の骨折部の感染症発生について

2  被告中山の過失と後遺障害との因果関係及び本件骨折事故の後遺障害に対する寄与

3  原告の損害額

三  争点に対する当事者の主張

1  争点1の(一)(原告の左尺骨神経の断裂)について

(一) 原告の主張

上腕骨下端部骨折によって尺骨神経が断裂することは極めて稀であるから、尺骨神経が本件骨折事故によって断裂したとは考えられない。それにもかかわらず、昭和五八年九月二〇日に慈恵大病院整形外科において神経移植の手術を受けたときはもとより、それ以前に浜の町病院で手術を受けたときにも原告の尺骨神経は既に断裂していたこと及び原告の左手指の尺骨神経支配領域の運動・知覚が本件手術後著しく緩慢化していることから、本件手術によって原告の左尺骨神経は断裂するに至ったものと考えられる。

さらに、被告中山は、本件手術の際、術野に尺骨神経を見い出すことができないまま本件手術を施行していることから、本件手術において被告中山が原告の尺骨神経を断裂させてしまった蓋然性は高く、そのように尺骨神経を確認しないまま本件手術を施行した被告中山には注意義務違反(過失)が存在する。

(二) 被告らの主張

(1) 本件手術後、原告の尺骨神経支配領域全体における知覚脱失状態の継続的かつ顕著な臨床症状は見られず、かえって、本件手術後一〇日目のピンスティックテストでは徐々に感覚は出てきているほか、神経回復時に特徴的なビリビリした強い痛みも出てきており、少なくともこの段階では尺骨神経の完全な断裂を認めることはできない。

また、仮に、本件手術前に比べて手術後に原告の尺骨神経麻痺が増悪したとしても、それは手術の過程で不可避的に器具等で押さえたりしたことによって一過性に知覚脱失したことによるものであって、右の事実から被告中山が原告の尺骨神経を切断したと推定するのは誤りである。

(2) 本件骨折事故による原告の骨折は、重度の複雑骨折であり、かつ、最も神経損傷が起こりやすい部位でもあったため、手術前から尺骨神経の損傷が既に発症しており、それが、術中・術後の諸条件の重複により完全断裂に至ったものとみるのが自然であり、原告の尺骨神経断裂と本件手術との間には因果関係が存在しない。

(3) 原告の骨折形は複雑なものであり、骨の転位が大きいことから、骨片の整復・接合は極めて困難で最も治療困難な手術であり、尺骨神経が解剖学的に存在すべき位置から転位していたため、被告中山は尺骨神経を術野に確保することができなかった。しかし、尺骨神経を探すために術中さらに侵襲を加えたり、骨を動かしたりすることは、逆に神経損傷の危険や感染症の危険性を高めることとなるので、被告中山は、敢えて尺骨神経の探索を諦め、尺骨神経が掌側に転位していると推測し、これを前提として本件手術を施行しているのであるから、神経損傷・切断は確実に回避されているのであって、被告中山には注意義務違反(過失)はない。

2  争点1の(二)(感染症の発生)について

(一) 原告の主張

(1) 原告は本件手術前に擦過傷等の外傷は負っていなかったから、感染症が発生したのは術後であり、感染症が発生したのは手術に際しての被告中山による患部の消毒が不十分だったことによる。

(2) 原告に感染症の疑いが生じたのは術後七日目(一〇月二二日)からであるのに、被告中山は術後一一日目(一〇月二六日)まで感染症に対する措置をとらずに原告に対する治療を怠った。

(二) 被告らの主張

(1) 原告は本件骨折事故により擦過傷を負っていたことから、右事故によって感染症にかかっていた可能性も高く、いずれの段階で原告の手術部位に感染症が発生したのか特定することはできない。

(2) 被告中山は、本件手術を無菌操作で施行し、原告の患部に対して術前・術中・術後をとおして十分な感染防止措置を施していることから、術後一〇日から二週間は無菌の状態を維持するため、抜糸するまで包帯交換をしないという方針を採っており、他方で、右の間熱型の変化を十分観察し、解熱剤の投与という最低限の処置を採りつつ、経過観察を続けていたところ、術後一一日目に感染症を確定診断するに至ったので、同日、包帯交換をして感染症を確認したのである。

感染症は発熱があった初期の段階で的確に判断することは難しく、熱型の推移等の臨床症状、経過観察による総合的判断を要するものであることを考慮すると、被告中山の右感染防止に対する措置は適切であり、過失はない。

(3) 現在考えられる最高の設備、手術器具の消毒、術中・術後の抗生物質の投与等十分な感染症防止策をとったとしても一〇〇パーセント感染を防止することは不可能であり、原告の感染症も不可抗力によるものである。

3  争点2(被告中山の過失と後遺障害との因果関係及び本件骨折事故の後遺障害に対する寄与)について

(被告の主張)

原告の骨折は、非開放性の通顆粉砕型骨折で、骨折形も複雑で骨片の転位も大きく、手術及び治療の極めて困難な部類に属し、神経損傷等合併症を起こしやすいものであった。

第三  争点に対する判断

一  争点1の(一)(尺骨神経損傷の断裂)について

1  本件手術に至る経緯(証拠・乙六の1、七の1、10、八の2、一四、被告中山本人、鑑定)

(一) 昭和五七年一〇月九日午後一時三〇分ころ、原告は、通学していた福岡市立西陵高校から自転車で帰宅中、転倒して左腕を地面に突き、山下病院に運ばれて診察を受けた。当日、最初に原告を診察したのは被告三光会の理事である山下貴史医師(以下「山下医師」という。)であった。山下医師は原告の傷病名を上腕骨顆上骨折と診断し、原告に対し即入院を指示し、垂直牽引するように指導した。

翌一〇日、主治医となった被告中山が原告を診断し、垂直牽引後の骨の整復状態を見るために撮影したレントゲン写真(乙八の2)等から、原告の症病名を上腕骨顆上骨折、上腕骨外顆骨折、肘頭骨折、尺骨神経麻痺と診断した。一一日には原告に対して骨折部の徒手整復操作が行われた。

(二) 被告中山は、原告の左第四、五指に知覚鈍麻があるものの、上腕骨顆上骨折で尺骨神経の断裂が合併する例は非常に稀であることから、原告の左第四、五指の知覚障害の原因として原告の左尺骨神経の断裂は全く考えず、尺骨神経が骨片によって圧挫される等の何らかの損傷を受けていることによると考えていた。

(三) 原告の上腕骨顆上骨折は垂直牽引により、整復状態はかなり良好となったが、内顆の所に大きな骨片が存在したため、これを除去すべく本件手術を施行することになった。

(四) なお、被告中山作成のカルテ(乙七の1)の一〇月一〇日欄には「左第四、五指の知覚異常あり、肘部〜前腕の腫脹強く、前腕部の包帯交換」、一〇月一三日の欄には「手指運動自由、四、五指の知覚障害」との記載があり、また、熱型表(乙七の10)には、原告は入院当初より本件手術まで、三七度ないし三八度六分程度の発熱が続いた旨記載されている。

2  本件手術の施行

(一) 本件手術は、同年一〇月一五日、執刀医被告中山、麻酔医山下医師、第一助手荒巻医師及び手術器械受け渡し・点滴・ガーゼ取り替え等の手術補助者である看護婦四名によって施行された(乙七の7)。

(二) 本件術方式は、原告を全身麻酔下の伏臥位にして、後方中央縦切開により上腕三頭筋切離後中枢へ翻転させ、関節包を切開し骨折部に至り、骨膜下にて内外顆まで剥離するものであった。しかし、被告中山は、右術式では、通常術野に出現するはずの尺骨神経(尺骨神経は、三頭筋の内側線に沿って位置しており、容易に視認できる程度の太さがある。)を発見・確認することができなかったため、原告の左尺骨神経は掌側に転位しているのであろうと考え、尺骨神経未確認のまま骨折部の可及的整復をした後、キルシュナー鋼線五本にて骨接合を行った。術後ギプスシーネで上腕から手先にかけて固定した(乙七の1、被告中山本人)。

3  本件手術後の原告の尺骨神経支配領域の症状

尺骨神経の神経支配領域は、上腕、肘関節、前腕の各内側(手掌を前方にした姿勢による。)部分から手掌内側を経て第四指の内側半分と第五指に至るものであるところ(乙一五)、本件手術後の被告中山作成のカルテ(乙七の1)の一〇月一六日の欄には「尺骨領域知覚脱失、五指の指運動弱い、爪の循環良好」、一〇月二〇日の欄には第四指が図示され「知覚鈍麻」、第五指が図示され「知覚脱失」と記載され(被告中山は、神経の連続性が不完全に断たれた場合を「知覚鈍麻」と表記するのに対し、「知覚脱失」はそれが完全に断たれた場合のことを意味する旨供述する。)、更に「指の動きは徐々によくなっているが、第五指はMP関節の過伸展をきたし、スワンネック変形になりつつあり、完全伸展不能、尺骨神経麻痺は回復がはっきりしないが、正中神経(尺骨神経支配領域以外の指運動を支配する神経)麻痺は回復してきている。このまま暫く経過観察する。」、同一〇月二五日の欄には、左第五指全体と左第四指の半分が図示され「知覚脱失、但し徐々に感覚は出てきている。又時にビリビリした強い痛みあり。尺骨神経は少しずつ回復をしてきているように感じる。」、同一〇月二七日の欄には「尺骨神経領域にビリビリと、主に小指。ピンスティックテストではさほど進展なし。但し四指の知覚回復は確実に見られる。」と記載されている。

4  本件手術後の原告の左尺骨神経麻痺の増悪について

(一) 以上1ないし3の認定事実を総合すると、本件手術前においても既に原告の左第四、五指の尺骨神経支配領域に麻痺が生じていたが、それは知覚鈍麻程度であったこと、しかし、術後は知覚脱失に至り、知覚障害が増悪していることが認められる。もっとも、右カルテの一〇月二五日欄、二七日欄には、尺骨神経が少しずつ回復してきたかのような表現の記載もあるが「知覚脱失」の記載やテスト結果に現れていない事実に照らし、単なる感じを記述したに止まると考えられる。

(二) 被告らは、原告の診察当初から尺骨神経断裂が疑われたので、看護婦に看護記録の記載につき、第四、五指の動きに注意するよう指示していたところ、その結果記載された看護記録(乙七の9)には、術後においても左第四、五指の知覚障害の度合は術前と同じく知覚鈍麻と記載されているに過ぎないことや、第四、五指に神経回復時に特徴的なしびれ感がある旨記載されているとして、術後知覚障害が増悪したとは認められない旨主張する。

しかし、右指示をしていたにしては、被告中山は、前述のとおり、本件のような上腕骨顆上骨折による尺骨神経断裂の合併症事例は極めて稀であると認識していたし、骨片と共に同神経も掌側へ転位しているものと考えて、術中同神経の確認を行っていないなど、右断裂を当初から疑ったこととは矛盾する認識・行動を主張、供述している。

さらに、一般に専門的な医学知識を有している医師が作成したカルテの記載内容の方が、その医師を補助することを職務とする看護婦が記載したものである看護記録より信頼性が高いものであることは明らかであるところ、本件カルテ(乙七の1)には、術後一日目から一〇日目に至るまで、第四、五指については「知覚脱失」と記載され(なお、一〇月二〇日の欄には第四指がいったん「知覚鈍麻」と記載されていたが、一〇月二五日の欄では第四指の第五指側半分につき再度「知覚脱失」と記載されている。)、手術前の記載が「知覚異常」にとどまっていたのとは明白な差があることを考慮すると、本件手術後、原告の左尺骨神経麻痺が増悪していることが認められ、看護記録を根拠にこれを否定する被告らの主張には理由がない。

(三) さらに、被告らは、原告の左尺骨神経麻痺が増悪したとしても、それは、通常手術の過程で不可避的に器具等で押さえたりしたことによって、麻痺が増悪したという一過性のものであると主張する。

しかし、術後一〇日目になっても左尺骨神経支配領域の神経症状は「知覚脱失」の状態であり(乙七の1)、これを通常の手術に伴う器具等の一過性の知覚障害と見ることは困難であるから、右被告の主張にも理由はない。

(四) 以上によれば、本件手術後、原告の左尺骨神経麻痺は増悪したものと認めるのが相当である。

5  本件手術における被告中山による原告の左尺骨神経の損傷・断裂の有無

(一) 一般に上腕骨顆上骨折で尺骨神経の断裂が合併するという例は極めて稀である上(被告中山本人、鑑定)、山下病院のカルテ(乙七の1)には術前一〇月一〇日の欄に「左第四、五指に知覚異常あり」と記載されているに止まることからすれば、本件事故によって原告の尺骨神経が断裂に至るほどの損傷があったものとは到底認め難く、せいぜい本件事故による複雑骨折により転位した一部の骨片による尺骨神経の圧迫ないしは断裂に至らない軽度の損傷等が生じた程度のものと認めるのが相当である。

ところが、右4で述べたように、原告の左尺骨神経麻痺は本件手術後、知覚脱失となるほどに増悪し、その後、浜の町病院への転院後間もなく行われた手術の際、尺骨神経の断裂が確認されていること(証人森久)、加えて、前認定のとおり、被告中山が原告の左尺骨神経を発見・確認することなく本件手術を施行したことなどを考慮すると、本件手術により、尺骨神経が切断された可能性が強く、そうでなくとも、少なくとも右尺骨神経に生じていた既存の損傷が増悪・拡大し、ひいては術後断裂に至ったものと認めることができる(もっとも、後者の場合、その断裂に至る機序については、証拠上詳らかではないが、感染症を含めて術後生じた諸条件が付加されて、断裂に至ったとの推測が可能である。その場合であっても、叙上の点に照らし、右断裂が被告中山の本件手術に際して尺骨神経に加えた損傷が主たる要因をなしているものと理解されるから、本件手術と右断裂との間の因果関係は否定し難い。)。

被告らは、術前・術中・術後の諸条件の重複により原告の左尺骨神経が断裂するに至ったものと見るのが自然であるから、本件手術と左尺骨神経の断裂との間には因果関係がない旨主張している。しかし、仮に原告の左尺骨神経断裂の経過が被告ら主張のとおりであったとしても、尺骨神経支配領域における麻痺が術後増悪したことからすると、本件手術と最終的に確認された原告の左尺骨神経断裂との間の因果関係を否定することは困難であり、右主張は採用できない。

(二)  ところで、本件手術のような上腕骨下端部骨折の観血的手術を施行する場合、重要な神経組織である尺骨神経に損傷が生じないよう、その確認及び保護を行うことは基本的措置というべく、成書においても骨切りを加える前に周囲の組織から剥離しておくことが述べられている(甲二六、乙五の1)。したがって、本件手術においても、被告中山は、原告の左尺骨神経を発見・確認し、それを保護した上で骨接合手術を施行すべき注意義務があったにもかかわらず、前述のとおり、同神経が術野に視認できない状況下で、安易に同神経は掌側に転位したものと軽信し、それ以上の探索・確認をしないまま、手術を続行した点において、その過失を認めざるを得ない。

この点について、被告らは、被告中山が尺骨神経を確認できなかったのは、右のとおり尺骨神経の掌側転位のためであり、尺骨神経を確実に見出し、それを保護した上で更に手術を進めていくならば、原告の患部に更なる手術・侵襲及び骨の移動を伴うことになるから、更に出血が続くとともに感染症の危険性も増大するため、それ以上尺骨神経を探索するのを断念し、骨接合術を行ったものであり、被告中山の手術施行について過失は存在しないと主張する。

しかし、前記のとおり、尺骨神経の確認と保護は基本的措置であり、同神経への損傷は後遺障害等軽視できない結果を招来するものであるから、整形外科医としては若干の皮切りの増加が必要であったとしても、尺骨神経を確認し、それを保護する措置をとった上で本件手術を施行すべきものであったと解される。確かに尺骨神経探索のための皮切りによって出血量は増加することは争い得ないが、本件手術による総出血量が三四七グラムであったこと(乙七の9)からすると格別出血量が多量に及んでいたわけではなく、尺骨神経発見のための更なる皮切りは可能であったと認められる。また、手術時間が長引くことにより、感染症発生の危険性が増大することは否定し得ないが、通常手術はできるだけ無菌に近い状態で行われるべきものであること及び被告中山は、本件手術に際しては感染症対策は十分にとっていた旨供述していることから(被告中山本人)、尺骨神経発見のために手術時間がわずかばかり延びたところで極端に感染症発生の危険性が増加するとは思われない。それよりも、尺骨神経を確認・保護することなく、確認できていない尺骨神経への損傷の可能性を残したまま手術を施行することの方がはるかに危険性を伴うものと考えられる。

したがって、被告らの右主張にも理由がない。

(三) なお、鑑定の結果は、尺骨神経麻痺が本件手術後増大したことのみをもって、本件手術によって尺骨神経が断裂されたと速断することはできないとしている。

しかしながら、右鑑定は、神経断裂とそれに至らない軸索断裂の鑑別の困難性を指摘しているに止まり、右症状の増悪の原因について述べているものではないから、右判断を左右するものではない。

二  争点1の(二)(原告骨折部の感染症発生)について

1  感染症が発生するまでの経緯

(一) 原告は、術後一日目には三八度の熱があったが、同二日目から六日目までは三八度以上の熱が出ることはなかった。しかし、同七日目からは再び三八度以上の発熱があった(乙七の9、10)。

被告中山は、原告に対し、術後六日間(同月二一日まで)はセファメジン等の対感染症用の抗生物質を原告に投与していたが、同月七日目以降は抗生物質の投与を中止し、解熱剤であるインダシンのみを投与している(乙七の9、10)。

術後一一日目に、原告に対する血液検査が実施されたところ、赤血球三三人、白血球一万一二〇〇の数値であった(乙七の8)。

(二) 被告中山は、術後も本件手術部位を無菌状態に保つために、抜糸するまで包帯交換しない方針を採っていた。そこで、被告中山は、術後一三日目(一〇月二八日)に抜糸を予定していたため、その前日に包帯交換をしたところ、手術部位から大量の膿が出てきたので、そのとき初めて手術部位が化膿していることに気づき、再度パイマイシン、セファメジン等の抗生物質を処方した(乙七の9、10、被告中山本人)。

被告中山は、術後一三日目、予定どおり抜糸をしたが、その際、膿が出て皮膚が接合できない状況だったので手術部位を生理食塩水五〇CCで洗浄し、翌一四日目手術部位に人工皮膚を植え込んで、外側から洗浄する措置をとった(乙七の9、10、被告中山本人)。

(三) 同年一一月一日(術後一七日目)、原告は浜の町病院に転院・入院したが、同病院の主治医森久は、原告の感染症がひどかったため、尺骨神経領域の麻痺及び骨折の治療より先に感染症の鎮静化に努めるべきであるとの方針を採り、同月五日から翌五八年一月二四日までの間四回にわたり、患部の創縁切除、創面洗浄、人工皮膚の張り替え等の手術を施行した後、開放創閉鎖、腐骨摘出、掻爬等の手術を行った(証人森久)。

2  本件感染症の原因

(一)  一般に臨床的に感染症発生と診断するには、①局所の炎症所見や分泌物の存在、②発熱と白血球の増加、③赤沈値の亢進とCRP(炎症の発生を調べる検査)の上昇、④起炎菌の証明、⑤抗生物質の投与に反応するか、などを総合して判断すべきところ(鑑定)、右に述べる事項のうち、原告に認められるのは、本件手術後七日目ころから三八度以上の高熱が続いたことだけである。しかし、骨折治療の場合、感染症の予防ということが治療行為の第一に挙げられることからすると(証人森久)、被告中山が、原告に対して、CRP等の炎症発生を調べる検査等を全く行っておらず(術後初めての白血球数の検査は、原告の熱が再度高くなった術後七日目から四日経った同一一日目である。)、かつ、右発熱にもかかわらず原告に感染症が発生していないという確実な判断ができたわけでもないのに、術後一〇日間以上も包帯交換をせずに患部の炎症、分泌物の有無をも確認しなかった点において、被告中山には本件感染症が発生したことに対する注意義務違反(過失)が存在するものと解するのが相当である。

(二)  この点、被告らは、術中・術後の院内感染は一定割合で発生するもので、完全な可避は困難であること及び原告は本件事故によって当初から擦過傷を負っていたことから、原告には術前から感染症が発生していたのであって、術後感染症が発生したのではないこと、仮に術後に感染症が発生したのだとしても、被告中山は十分な抗生物質を投与する等適切な感染防止の措置をとっているから、被告に注意義務違反は存在しない旨主張する。

しかし、病院内で手術を施行した場合、一定割合(二ないし三パーセント)で感染症が発生することは不可避である(被告中山本人、鑑定)にもかかわらず、被告中山は、術後六日間にわたって抗生物質の継続投与を行いながらも、術後七日目に原告に体温の上昇傾向が窺われたのであるから、当然その時点で感染症を疑って十分な対応を考慮すべきであったのに、かえって、同日以降、なぜか抗生物質の投与を中止した。しかも、同被告は、一定割合での感染症の発生を不可避と確認し、かつ、右高温傾向という感染症の徴候があったのに、確たる判断材料も存在しないまま、無菌状態保持という当初の方針に固執したためか、右の高温傾向が現れてもCRP等炎症発生検査を実施せず、同六日目に包帯交換をして感染症を現認し、急遽対処療法を施したというのである。このように被告中山において感染症の徴候が現れて後五日間にわたり、包帯交換等の措置をしなかったことからすると、被告中山は、その間の治療を怠ったというべきで、仮に感染症が不可避なものであるとしても少なくとも被告中山が感染症に対する措置を放置し、適切な治療行為を怠った過失は否めず、このことにより、原告の感染症を増悪させたことは否定できない。

また、原告が本件事故により擦過傷を負っていたのかどうかについてはカルテ(乙七の1)にはその旨の記載はなく、かえって、右カルテの内容や証拠(甲二一、二三の2ないし18、証人新郷、原告本人)によれば、原告は、本件事故時地面に転倒するも、学生服、カッターシャツ等を着用していた関係もあって、本件患部付近、その他に擦過傷を負っていなかったことが明らかであり、右の点に関する被告中山の供述は信用しない。なお、証人森久は術前包帯交換の記載がカルテにあることをもって、擦過傷の存在を推定する趣旨を証言するが、術前の患部牽引に際しても包帯を施すこと(甲二一他右掲記の各証拠)から、必ずしも妥当な推定とは思えない。

(三)  以上によれば、被告中山は原告の感染症発生についても適切な治療(措置)を実施しなかった過失があり、これと原告の本件重篤な感染症との間に因果関係があるものと認めざるを得ない。

三  争点2(被告らの過失行為と後遺障害との因果関係及び本件骨折事故の寄与)について

1  後遺障害及び等級

証拠(甲一四の1、2、証人新郷、原告本人、鑑定)によれば、原告の後遺障害として、次のとおりの事実が認められ、その症状固定日は昭和六一年一〇月一日と認められる。

(一) 左第四、五指関節の運動障害

右の両指とも屈曲一〇〇度、伸展マイナス一〇〇度であって、伸展運動が全く不可能であり、可動域〇度という運動制限がある。

これは、母指及び示指以外の二の指の用を廃したものとして、労働災害身体障害等級表(以下「等級表」と略称する。)の第一一級の七に相当する。

(二) 左肘関節の運動障害

左肘関節の屈曲一三〇度、伸展マイナス五〇度で可動域八〇度に制限されており、これは一上肢の三大関節中の一関節の機能に障害を残すものとして、等級表の第一二級の六に相当する。

(三) 左上腕骨下端の変形

X線の所見上、顕著な異常として、左上腕骨下端の変形が見られる。これは長管骨に奇(変)形を残すものとして、等級表の第一二級の八に相当する。

(四) 左上肢、左手掌、左第四・五指の知覚障害

左第四・五指全体、左手掌、手背部の尺側、並びに手関節から前腕遠位部にかける尺側に、知覚障害(温、痛、触覚)がある。これは局部に神経症状を残すものとして、等級表第一四の九に相当する。

(五) 手術、植皮術後の瘢痕形成

左肘関節伸側に多数の手術瘢痕、植皮術後の瘢痕を形成している。これは上肢の露出面に手掌大の醜痕を残すものとして、等級表の第一四級の三に相当する。

以上の原告の現存の後遺障害を総合すると、等級表の第一〇級に相当するものと評価する(被告らも特段これを争わない。)。

2  後遺障害と被告中山の本件治療上の過失行為との因果関係並びに原告の本件事故(骨折)の寄与度

(一) 右認定の各後遺障害のうち、(一)及び(四)の障害が左尺骨神経の断裂にほぼ起因するものであることは、前記第三の一3の冒頭に記述する左尺骨神経の支配領域に照らし明らかである。

(二)の障害も、左尺骨神経の支配領域内にあるが、原告の骨折が上腕骨下端部という肘関節に直近の部位であり、その態様も通顆粉砕型の非開放骨折であって、その治療が最も困難な部類に属するものであったから(被告中山本人、鑑定)、右の障害の全てが左尺骨神経の損傷に起因するものとするのは相当ではなく、原告の骨折事態が相半ばして寄与しているものと理解するのが相当である。また、(三)の障害についても、右(二)の場合と同様に、原告の骨折自体も寄与しているものと推測される。

(五)の障害については、その一部が前記感染症に起因することも窺われるが、その原因の大半は原告の前記複雑な骨折の治療自体に必然的に随伴するものと認められる。

(二) 以上を考慮するとき、原告の後遺障害の原因の大部分は左尺骨神経の断裂によるものであるが、原告の本件骨折事故による骨折自体もその原因の一端を担っているものと解され、また、少なくとも(一)の後遺障害が原告の左尺骨神経の損傷にほぼ起因するものであり、これが相当する等級表第一一級の労働能力喪失率(二〇パーセント)と同第一〇級のそれ(二七パーセント)とを比較考慮すると、本件骨折事故自体の本件後遺障害に対する寄与度は二割程度とみるのが相当である。

四  争点3(損害額)について

1  治療状況

原告は、前記第二の一5ないし7のとおり、本件左尺骨神経の損傷及び感染症の治療のために、被告三光会の経営する山下病院を転院して以降、他の病院で入・通院による治療を受けた。その治療状況の概要、その入・通院日数等は次のとおりとなる。

浜の町病院関係は、入院期間約五か月(その間四回の手術を受けた。)、通院実日数一二日(昭和五八年三月二六日から同年七月一三日の間)、慈恵大病院関係は、入院を三回行い、その期間合計は約五か月(手術四回)、通院実日数九日(昭和五八年七月二五日から昭和六一年一〇月一日までの間、甲二五)であった。なお、本件手術後から後遺症状が固定するまでの期間は約四年間であった。

その他、古賀整形外科で五日間、タケシマ整形外科及び国立福岡東病院で各一日、通院治療を受けた(甲八ないし九)。

2  損害

(一) 治療費(一一六万五三八〇円―請求同額)

証拠(甲七ないし一一、一五の1ないし10、一六)により、これを認める。

(二) 装具代・薬品代(九万三五六七円―請求同額)

証拠(甲一二、一八、一九)によれば、原告は尺骨神経麻痺のため、装具の着用が必要となり、装具代(左MP屈曲装具等)として九万二二五〇円、更に薬品代として一三一七円の損害を被ったことが認められる。

(三) 付添看護費(否定―請求二〇万円)

証拠(甲二四の1ないし4、二五、証人新郷)によれば、原告は、浜の町病院及び慈恵大病院において、前記合計八回の手術を受け、これらの際、家族あるいは親族が付添看護に当たったことは認められるものの原告に付添が必要であるとする医師の証明等これを証するものはなく、また、付添看護の具体的日数、内容等を証するに足りる証拠もないし、肉親の情としての見舞いとも解する余地もあるから、その付添費用として原告主張にかかる二〇万円相当の損害を認めることはできない。

(四) 通院費(通院付添費も含む。七一万二九八〇円―請求一三〇万五八六〇円)

証拠(甲二五、証人新郷、弁論の全趣旨)によれば、原告は前記各病院に通院するための交通費として、六六万二九八〇円を要したことが認められ、更に原告は昭和五八年当時一七歳の未成年者であったから、慈恵大病院での診断を受けるに当たって要した保護者の付添は初診時のみ必要と認め、そのための交通費として五万円を相当とする。

(五) 入院雑費(二九万七〇〇〇円―請求同額)

証拠(甲二五、証人新郷、原告本人、弁論の全趣旨)によれば、原告は昭和五七年から六一年にかけて前記浜の町病院、慈恵大病院に計二九七日間入院していたことが認められ、当時の入院雑費としては一日一〇〇〇円を相当とするから、原告は二九万七〇〇〇円の損害を被ったことが認められる。

(六) 教育費用等(計六一万七一二〇円―請求一〇九万二六四〇円)

(1) 高校授業料(八万一六〇〇円)

証拠(甲二二の1、2、証人新郷、原告本人、弁論の全趣旨)によれば、原告は、尺骨神経麻痺、感染症の治療のために昭和五七年から五八年にかけて高校通学が不可能になったため、高校一年生を留年することを余儀なくされ、一年間分の授業料、PTA会費、生徒会費、その他の校納費として総額八万一六〇〇円の損害を被ったことが認められる。

(2) 高校通学費(一五万五五二〇円)

証拠(証人新郷、原告本人)によれば、原告は高校に三年間自転車で通学予定であったが(現に本件事故も自転車で高校から帰宅途中に起こっている。)、尺骨神経麻痺の後遺症のため左手が使えず自転車通学が不可能となり、バス通学を強いられたことが認められる。しかしながら、原告は昭和六一年まで慈恵大病院に入退院を繰り返したため通学日数が少ないこと、バス通学には雨の日の通学など自転車通学以上の利便が存在することを考慮すると、バス通学に要した費用(三一万一〇四〇円)を全て被告らに負担させることは相当ではなく、その半額(一五万五五二〇円)を被告らに負担させるのが相当と認める。

(3) 家庭教師代(三六万円)

証拠(甲二五、証人新郷、原告本人)によれば、原告は、昭和六〇年から六一年にかけて慈恵大病院に入退院を繰り返したため、高校の授業が受けられず、それを週一、二回家庭教師によって補っていたことが認められる。そして、昭和六一年当時の週一、二回の家庭教師費用としては月三万円程度が相当と認められるから、その一年分(三六万円)を原告の被った損害と認める。

(4) 教科書、衣服等の買い換え費用(二万円)

証拠(証人新郷、原告本人、弁論の全趣旨)によれば、原告は、高校を一年間留年したことによって教科書、制服等の買い換え費用がかかったことが認められ、その費用としては二万円をもって相当とする。

(七) 就職遅延による損害(一六五万四六三二円―請求二六七万四六八〇円)

前記認定のとおり、原告は尺骨神経麻痺及び感染症のため高校一年生を留年し、就職が一年遅れた。また、原告は大学進学希望だったので(現に口頭弁論終結時には大学を卒業している。)、通常であれば二三歳に就職するはずであった。昭和五九年大学卒業者二〇ないし二四歳の平均賃金二三二万八五〇〇円であり、本件不法行為時の原告の年齢は一六歳であったから、現価計算を七年のライプニッツ係数0.7106によることにし、これを乗じて得られた額一六五万四六三二円(円未満切捨)が原告の就職遅延による損害として認められる。

(2,328,500×0.7106≒1,654,632)

(八) 逸失利益(一一七一万五八〇五円―請求一九三二万二六七〇円)

原告の後遺症が等級表の第一〇級に該当することは前判示のとおりであり、その労働能力喪失率は二七パーセントとなる。原告が就業可能であると認められる六七歳に至るまでの四三年間の逸失利益(就職遅延による損害は既に(一)で填補しているので、結局二四歳から六七歳までの四三年間の逸失利益となる)については、昭和五九年大学卒業者平均賃金四八九万四一〇〇円に労働能力喪失割合0.27及び四三年に対応するライプニッツ係数17.5459から八年(受傷した一六歳から就職時までの年数)に対応するライプニッツ係数6.4632を差し引いた11.0827を乗じて得られた額一四六四万四七五七円(円未満切捨)が原告の逸失利益として認められる。しかしながら、3に後述するとおり、過失相殺の類推により更に減額をするのが相当であるから、右額から二割を減じた額をもって請求し得べき額と認める。

(4,894,100×0.27×11.0827×(1−0.2)≒11,715,805)

(九) 慰謝料(四五〇万円―請求八〇〇万円)

原告の左尺骨神経麻痺及び感染症の治療のために頻繁に入通院及び手術を繰り返したこと、勉学や進学に遅れをもたらしたこと並びに前記認定の後遺症が残ったこと等の事情を考慮すれば、原告が相当程度の肉体的・精神的苦痛を被ったことは明らかである。他方、前記第三の三の2及び後記3に述べるとおり、原告の後遺障害につき原告自身の本件事故が相当程度寄与していること、後遺障害に止まらず、前記認定した(一)ないし(七)の損害についても、本件骨折事故が全く寄与していないとも断言し難いこと等の事情もある。

これらの事情を総合考慮するとき、原告に対する慰謝料額は四五〇万円が相当である。

(以上合計額二〇七五万六四八四円)

3  本件骨折事故の寄与度による過失相殺の類推について

前記第二の三3記載の被告らの主張するところからすれば、被告らは、原告の後遺障害に対する本件骨折事故自体の寄与並びにその寄与割合による過失相殺の類推適用を求める主張をしているものと理解されるところ、第三の三2に判示するとおり、原告の後遺障害に対する本件骨折事故自体の寄与割合は二割をもって相当とした。

そうすると、本件後遺障害によって原告に生じた損害の全てを被告らのみに負担させることは、当事者の損害の公平な分担を基本理念とする不法行為法に照らし相当ではない。したがって、過失相殺の法理を類推して相当の減額をすべきであり、その減額割合は、右の寄与度の割合をもって相当と認める。

4  弁護士費用(二一〇万円―請求三〇〇万円)

以上のとおり、本件事案の内容、その難易、認容すべきとされた損害額、その他の諸事情を総合して考慮すると、被告らに対して請求できる弁護士費用としては、右損害総額の約一割に相当する二一〇万円をもって相当とする。

5  損害合計額(二二八五万六四八四円)

以上によれば、原告は、被告らに対して、損害合計額及びこれに対する不法行為の後である昭和六〇年八月九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を請求できる。

(裁判長裁判官川本隆 裁判官永松健幹 裁判官阿部哲茂)

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